メダカと我が家の空即是色

或る日突然にメダカと暮らすことになった我が家にまつわるエトセトラを、その日そのときの気分で綴ります。

第20夜「メダカに関するその後~現在までの軌跡-その6-(完)」

皆様こんにちは^^
今日も今日とて、もんこです。

 

さて。

いつしかネズミ算ならぬ、メダカ算式に嵌った我が家。

これからどうなってしまうのか、いずれにせよ前回の続きとなります。

 

medakatoetc.hatenablog.com

 

さて、新居に引っ越して3年ほどが経過した頃の我が家のことであります。

 

この頃のメダカ水槽は屋外に角タライ1つと水瓶2つ、屋内に丸タライ1つ、計4つの水槽でそののち数年が経過していきました。

水瓶がなにより大きくて重いため、年々体力が持たないことを危惧して水瓶2つは60リットルタライと100リットルタライに途中変更され、現在の状態へと続いていきます。

(ちなみに使用後の水瓶は陶器それ自体が劣化しないという利点を最大限に活用し、替えの用水を蓄えるという役割を果たしています)

 

一方では私と同様にメダカを飼っている人たちからすれば、

 

「結局水槽は4つだけでしょ?そのくらいなら、むしろ全然少なくない?」

 

という感想をもたれることが、あるいは多くの声ではないかとも感じられたところではありました。

 

例えば、いわゆる商業ベースではなくとも。

メダカを飼っていると、家の敷地内の至る所が水槽だらけなっているお宅もあるように思われます。

そのうえご自身のご趣味なども重なっているせいか、却ってますます増やされているお宅などもあるわけです。

 

そのような中にあっては、我が家の水槽4つなどというのは実に小者(こもの)そのものでありましょう。

しかし私にとってみれば、その管理に随分と時間をとられるようになってきていました。

 

何年経っても私は水槽管理が下手で、未だに失敗ばかり。

そのうえ性格的にも「適当に」(※旦那注:良い意味で)、「うまく手を抜く」といったことが今一つできないため、結果としてたった4つの水槽であっても体力的にも精神的にも大変になっていたのです。

そういった点では現状たくさんの水槽を管理し、かつ犠牲のない形でメダカを育てている方々は本当に凄いと思うのです。

 

実はこの間において、稚魚の成長は自然に任せようと心に決め。

なんとか件の、メダカ算式から逃れようとしていました。

 

しかし、稚魚の一生懸命に生きようとする姿に心苦しくなった結果。

完全隔離は止めたものの、出入り自由の半隔離シェルターを入れていました。

そのため完全隔離飼育で爆発的に増えるということはありませんでしたが、確実に数は増えつつある状態となりました。

 

ゆえに定期的に湧き起こる、メダカ管理問題

当初はあくまで仕方のないこととして捉えていたその問題が、此処に来て我が家のライフスタイル自体を揺るがす結果ともなりつつありました。

 

その結果出た案は実に多様なもので、例を挙げれば「引き取り先を探す」「池を作る」「井戸を掘る」など――。

旦那とも様々に話し合いを続けながら、現実的にはやがて一つの水槽にまとめる方向へと案が進んでいきました。

 

分散した水槽を一つ一つ管理するより、大きな水槽にまとめた方が水量が多くて安定もするだろう。

なにより管理が一つで済むので、負担が減るのではなかろうかという考えの下でした。

そして所謂「ブルコン水槽」の設置となったのです。

 

もちろん同時に、一つにまとめることのリスクもあります。

例えば、一つだけの水槽について致命的な何かがあったとき。

それは即ち、それだけで全滅もあり得るということです。

 

そういったリスクも踏まえ、現状やこの先のことなど。

そして様々な事情や抱えている問題点など、一体どうしていくべきかを旦那と話し合いながら出した結果ではありました。

 

因みにブルコン設置にあたっても、屋外電源の増設や屋根作りなど様々に問題があったようにも覚えています。

そのあたり素人ならではの拙いながらも苦労に満ちたその設置過程などについて、しみじみ記録しておけばよかったと今更ながらには思うところです。

 

なにしろ支柱となる単管杭の打ち込みに始まり、単管パイプの組み方や波板屋根の取り付け方などなど。

全く何も分からない、それこそ「ど」の付くほどの素人が勉強を始めていったのではありました。

当然にして様々な問題が日々襲い来る中において大いに旦那の手や知恵を借りながら、ちまちまと作業を進めながら数か月が経過したある日のこと。

 

実際に計画を立てだしてからは1年以上経っていましたが、いずれにしても何とか形ができあがりました。

そして水を回し、徐々にメダカたちを移していったわけです。

 

もちろんその当時においては、あくまで素人である私たちが仮にもそれらしいものを作り上げることができた喜びのみが先行していたことは間違いなかったとは思います。

 

 

いつしか今は、設置から3年以上が経過しました。

いわば出オチ的な形で申せば諸事情諸々で、結局全てのメダカたちを件のブルコン水槽へと移すことはできなかったのでありました。

その結果としては従来の枠組みに加えて、ただ単に大きな水槽がひとつ増えただけの状態に至っているというのが現在の今日この頃となっています。

 

減らすどころか、結局増えてしまった水槽。

そのうえ水槽の数だけ、悩み苦しむ課題が増えるばかり。

要するに、なかなか計画した通りにはいかないものなのでした。

 

つまりは我が家のように「メダカ算式」にはまっている方々は、果たしてどのように対処されているのかを、むしろ知りたいと思っているのです。

あるいは結果的にその数を増やせていることに関しては、むしろ歓迎をされている方も少なくないのかもしれません。

 

いずれにせよ、第3夜にて紹介したメダカ水槽のとおり――

今現在は小さなプランター水槽も合わせて既に6つの水槽となり、日々メダカたちのお世話に奔走しております。

 

結局問題は何一つ解決していないどころかむしろ増えているわけですが、これからしばらくは現状のまま管理していくことになると思います。

ただメダカの若魚が増える一方で、飼い主は増えるわけでもなく若返りもせず。

ただ年老いていく一方なのは間違いのないところです。

 

つまりメダカたちを思うほどに、この先のことを考えなければいけません。

逆に例えば私たちがいなくても、メダカたちがいつまでも健康的に生きていける環境がつくれたとするならば、それはまさに夢のようでもありますね。

 

いずれにせよ、メダカたちとの出会いからすでに17年。

嬉しいことも悲しいことも、実にたくさんありました。

 

メダカたちの幸せを願いながらも、いつか手放さなければいけなくなるその日まで。

私としてはできる限りのお世話をしていきたいと、ただそれだけを思っています。

 

一方では長々とした中でなにひとつとして答えのようなものを見い出せずに、日々様々に悩み苦しんでもいます。

それでも日を追うごとに苦しくなる日常の中においても許される限りは、色々と考えてもいきたいと感じているのです。

 

ひとまず以上、何一つとして纏まりの無い中ではありますが――。

まずはここまでが、私とメダカたちとの出会いから現在までの軌跡となります。

 

ここからは日々の出来事などを中心に、できるだけ皆様のお役に立つ形で色々と発信などをしていければと願う今日この頃でございます。

 

ブルコン水槽のメダカたち。

自由に生きているようで、実はそうでないのかもしれない。

 

まさに「思うゆえに我在り」でございます。

 

 

 

 

第19夜【閑話休題】人間は、作られた種族なのか?

 

皆様こんにちは、今日は旦那のターンです(*'ω'*)ノ

 

さて本日はタイトルのとおり、我々人類が実は作られた種族(デザイナーズ・クリーチャー?)ではないのかという疑問について考えてみたいと思います。

 

そもそも私個人が物心ついた頃よりの通説によりますと、人類は数百万年の前に猿から進化を遂げたとして地球上に現れ云々と聞き育ってまいりましたが、果たしてそのようなことがあるのでしょうか。

簡単に「猿から人間になる」といっても、その間には恐ろしいほどに超えられない壁の存在があるように思われます。

だいいち、どの時点でそうなっていったのでしょうか。

 

とは言えその時代に起こったことをリアルタイムで見たうえで今生きている人、あるいは意思疎通が可能な知的生命体はとりあえずいないはずなので、すべて状況証拠と推論をもとに仮説を組み立てていくことになります。

そういう点では学会の通説も私のような一個人の推測も、推論という点においてだけは同じ土俵においての議論とも言えるのではないでしょうか。

そこには同時に既存学説その他主流派の権威に基づく否定なども当然にあることと思いますが、いずれにせよ多角的な検討のためにも自由な発想を妨げることは可能な限り避けるべきだとは考えています。

 

ただ思うところを言ってしまえば、

「途中はよくわからんけども、今いるんだからそうなんだろう」

的なところも所謂進化論的な考え方の根底において、少なからずあるように思えてくるから不思議なものです。

 

一方ではまさにその思考によって自己がここにあると再確認ができる、つまり我思うゆえに我ありでございます。

なので考えない我がいたとしても、哲学の概念上はそもそも存在していないのかもしれませんね。

 

同時に自由な推論を進めていくには、むしろ無駄な縛りは不要としたほうが面白いように感じています。

とはいえある程度の説得力も当然に必要とされることから、その最低限については何とか形を保ったまま、一方では生命の本質について個々の事象そのものではなく全体を俯瞰したうえでの観念的な捉え方をする方がよいのかもしれません。

 

そこで私が思ったことのひとつとして、我々人間は抑々作られた種族ではないかという仮説がありました。

 

まず第一に猿から進化したのが人間ならば、何故ほかの猿たちは数百万年の間そのままであって、いつまでたっても劇的に進化をしないのかという点です。

普通に考えればオランウータンが進化した人類、ゴリラが進化した人類がいても可能性としては全く不思議ではないわけです。

もっともそのような状況において一番乗りを果たしたのが、我々の祖先であると考えることもできますね。

 

また同時に、人間における他種族との違いについても考えてみました。

些細なことですが、我々の頭髪はある程度の長さまで毎日伸びていきます。

 

しかし他の猿で、このような現象が見られるでしょうか?

大抵は一定の長さまで伸びた後で生えそろい、それ以降は抜け落ちるまで現状維持となっているのが殆どではないでしょうか。

それに猿以外を見ても、むしろ邪魔なくらいにまで体毛が伸びていくのは羊くらいな気がしています。

 

(ちなみに人と羊には、宗教的に纏わるエピソードや例え話などによっての関係性もいくらかはあるようにも思います。)

 

もっともこの点だけを以てどうこうという話ではありませんが、その仕組みについてを一体なぜだろうと考えることは、必ずしも無駄ではないのかなとも考えています。

おそらく他にも他の生き物と違うところが多々あるのが我々人類であって、そのうえ自然進化をしていないと仮定すればいったいどのように誕生したのか。

 

それはもちろん、

 

「地球外生命体の干渉によるもの」

 

に他ならないのではないかと、私はそのようにも考えたわけです。

 

この地球上に生命が存在する以上は、無数にある恒星系の中にも当然にして生命体が息づく惑星があるはずです。

というかむしろ、ないほうがおかしい。

 

つまりは人類のあけぼのと呼ばれる太古の昔に、どこからかは分かりませんが地球外生命体の来訪があったとしても可能性としてはゼロではないと考えています。

 

むしろ、そうであった方が面白い。

そのように少なくとも、私は思ったりするわけです。

 

ちなみにいまや目に見えないものへの畏れや信仰を失った人類の姿は時代を下るほどに本質的な愚かさを露呈し、その行く末すらも見え透くほどにつまらないものへ劣化していくようにしか思えません。

 

その一方で過去に関しては、誰も壊すことはできない。

つまりは過去にこそ、むしろ楽しみがある。

 

私がSFはもちろん古代文明にも興味関心を示すのは、それこそ故きを温ねて新しきを知ることを期待してのものかもしれません。

 

さて、前置きが大変に長くなりました。

結論としては私は地球外生命体の来訪があり、彼らがこの地において何かを為すためにその労働力として作られたのが人間であると考えています。

 

具体的には彼ら地球外生命体と、当時地球に息づいていたなかでは最も高い知能を有していたであろう猿との間で、彼らに都合の良い形での交配のもと新たな種族が生み出され、それこそが人間ではないかとの仮説を立てるに至りました。

そもそも人間が不可思議な存在である最大の理由は、教育という独特の過程にあります。

 

皆様も野生生物によって育てられた人間の子供が云々、という話は一度耳にされたことがあるのではないでしょうか。

つまりは文明的に接すればそのように育つ一方で、野生下においては野生そのものの特性を示します。

 

この特性を考えたとき、例えば人間を使役する側の立場(この場合は人間を生み出した地球外生命体)としても極めて扱いやすい側面を備えているようにも思います。

なぜなら使役する側のものたちが適切な教育さえ行わなければ、人間はそれ以上の存在にはなり得ないからです。

 

その後、地球における目的を果たした彼らは何をしたのか。

原因として生み出されるに至った役割を終えた以上は本来滅ぼすべき人間を一方では哀れと思ったのか、あるいは観察対象としてそのまま放置し地球外へと退去。

あるいは有名なノアの箱舟のごとく一旦は滅ぼそうと試みたものの、難を逃れたものたちが営みを続けた結果としていまの人類の起こりとなったのではないか。

 

そのように考えると、人間にしかない独特の要素についても一定の理解ができるのではないかと考えてみたりする、ある秋の長い夜でありました。

 

というか今年はしつこいほどに毎日暑いですね。

皆様どうぞ体調管理にはお気を付けくださいませ。

 

 

第18夜「閑話休題」令和の米騒動なるものについて

 

皆様こんにちは、今日は旦那のターンです(*'ω'*)ノ

 

さて本日は、以下のような記事に関して話を進めていきたいと考えております。

ちなみに問題のニュースはこちら↓

 

news.yahoo.co.jp

 

なお元記事が消えることも多いため、ひとまず手がかりとしてのスクリーンショットなどを同時に下掲したいと思います。

 

 

ちなみに一国の大臣たるものが記者会見において意見表明するということは、即ち政府見解ともほぼ同様のものではないかと考えるわけです。

その席上において我が国の農政行政トップである農水大臣その人が、スーパーの店員に聞いた話を基にした希望的観測を口にしたことで、私は少なからず衝撃を受けたわけでありました。

 

そもそもが「スーパーの店員の話」といういわば伝聞情報であり、一国の政府としては極めて主体性の欠片もないものです。

それを主婦の方々など、一般人が話し合うだけならまだしも。

 

国全体の農政行政を主管する立場にあり、また予算を執行する権限を持つ部署のトップがなのです。

つまりは本来主体的に動くべき立場にあるものが、いざ困ったときにスーパーの店員に聞いた話と希望的観測に基づくコメントを恥じることなく発するということが、様々な側面において既に終わっていると思った次第です。

 

故に誤解を恐れずに申せば、何を他人事のように言っているのかという怒りが沸き上がります。

そこには主食の安定供給という、いわゆる国策という概念が全く感じられません。

 

さらに言うならばその主旨はつまり、

 

「俺は一応大臣だから聞かれたから答えれば、そのうち元に戻るんじゃないの?そもそも民間に任せていることだし、スーパーの店員もこう言っているから大丈夫じゃね?知らんけど」

 

といった感想を漏らしただけにしか思えないのが、正直なところです。

 

別に個人攻撃をするつもりはありませんが、そもそも米農家虐めなど事実上の減反政策を延々と続けてきたのは紛れもなく日本国政府ではないのでしょうか。

 

あるいは、米がないなら小麦を食え。

それでも米が食いたいなら輸入すればよいとしか思えないような政策を、実に長年にわたって継続してきたようにしか考えられないからです。

 

そもそも輸入が出来なくなったらどうするのかという仮定すら、この方々の頭の中には存在しないのではと思わざるを得ない状況のようにも思います。

 

(※ちなみに日本人が米を主食とする、むしろせねばならないと考える理由については以下のエントリーなどに記載もございます)

 

medakatoetc.hatenablog.com

 

さて。

普通の国々においては主食としての食料自給率に関し、通常は2倍つまり200%以上を目標として定めるものと個人的には考えています。

ところが、日本においてはどうでしょうか。

 

その生産供給を殆ど自営業者である農家の方々に委ねておきながら、一方では田を畑として転用することに補助金すら出しているとも聞いたような気がします。

(あるいは本来必要のない除草剤の使用を、却って奨励している可能性など)

 

そもそも食料自給率の向上に関して、もし日本国政府および議員各位が本気であったとするならば。

財政法をはじめとした手足を縛る全ての問題を解決したうえで、国の責任において可能な限り増産を目指すべきであると思います。

 

その結果として余ったのならば、すべて国が買えばよい。

本来はそのために国があり、そのために自国通貨があるのではないでしょうか。

むしろそれすらできないのならば、そもそも国がある必要すらないと思われて仕方がありません。

 

つまりは個人事業主や一般企業などの、所謂民間だけでは解決できない問題もやはり当然にしてあるはずと考えています。

その点をフォローするために国があり、いわゆる国営企業という概念は全てこの発想から成り立っているものであると考えれば、それを外国資本に委ねるということがあっては決してならないとも思うのです。

 

ところがどっこいこの国は時を下るほどに民間任せとなり、自己の責任を放棄しているようにすら感じられて仕方がありません。

その代表格はいわゆる郵政民営化であり、こちらも年を経るごとにそのサービス内容が低下しているのは皆様もお分かりのことと思います。

 

「それは改革が足りないからだ!!」という文脈からは、「救われないのは信心が足りないからだ!!」といった、悪い意味での宗教的なものをも感じさせます)

 

同時に民間の商取引にできるだけ介入をしないなどという建前のもと、実際は無為無策の言い訳に過ぎないお題目のみを机の上だけで考えた結果として掲げているのではないでしょうか。

 

もしそうだとするならば、本当に楽なお仕事ですよね。

自営業者や民間企業だけには生産性を求めておきながら、お役人自体は何の生産性もないのですから。

 

そのうえ例によって転売規制なども全く行われていないことから、米不足の結果として仕入れ値が高いので値段が上がるというよりはむしろ、あれやこれやと理由をつけて高値で売るという行為(※便乗値上げ)も少なくないのではないかと考えています。

 

たとえばひとつの例として、安い時に仕入れた米が大量にあったとします。

とはいえ様々な理由によって相場が上昇したのであれば、これ幸いと高値を付ける行為も普通に行われているのではないか。

仮にそうであるならば、まさに便乗値上げそのものであると考えられるわけです。

 

もちろんそのことは、言わば「安く仕入れて高く売る」という商売上の慣習に反するものではないかもしれません。

一方では人としての良識において、相当に疑問符がつくのではないかとも思われて仕方がないとも思ってしまいます。

 

いずれにせよ、清く正しく美しく――。

志を高く持とうとあればあるほど、むしろ様々に心打ちのめされる事象があまりにも多いような現代社会ニッポン。

まさに闇深き今日この頃であると、そのように思われる次第でありました。

 

 

第17夜「メダカに関するその後~現在までの軌跡-その5-」

皆様こんにちは^^
今日も今日とて、もんこです。

 

さて、今回のエントリも例によって前回の続きとなります。

 

medakatoetc.hatenablog.com

 

――旅は、長い。

そして、疲れるもの(※特に私たちには)。

 

九州から関東へ。

そしてアパートから戸建てへと、2度の引っ越しを経験したメダカたち。

 

このほど、やっと安住の地へと(?)やってこれたのでしょうか。

 

ちなみに、新居に引っ越した際に考えていた私の夢は何かといえば。

それはメダカたちを広い水槽の中で、のびのびと泳がせてあげたいというものでした。

 

(※旦那の突っ込み:なぜに、メダカが第一順位!?

 

そもそもが、野生の自然下で生まれたメダカたちのことです。

自然環境を再現することは出来ないけれど、せめて広々とした空間で過ごして欲しいという思いがあったからでした。

 

ちなみに我が家には外からそのまま土足で出入りできる、6畳程の土間があります。

元々は家庭菜園や趣味などの汚れるような作業ができる場所として設けたスペースでありました。

そして注文住宅の強みを生かして玄関と隣接、そのうえ直接キッチンにも繋がる導線を確保したいということは設計時において譲れぬところとして私自身が強く主張をした結果、旦那の了解を得て図面を引いた思い出があります。

 

しかし、この土間・・・

現在はメダカに占領されておるわけですが……(汗)

 

この頃は一番日当たりのいい掃き出し窓の角をメダカのスペースとして間借りし、ついに念願であった100リットル(満水時)のジャンボタライを設置することになりました。

 

つまり、従来の20~24リットルの水量から約80リットルの水量へ。

広い水槽にメダカたちを放つ瞬間というのは、本当に嬉しくてワクワクします。

最初はみんなで一塊となっておどおどしつつ、ゆっくり新しい水槽へと出ていき――

しばらくするとビュンビュン泳ぎ回って水槽内を探検する様子は、とてもかわいらしいものです。

 

とはいえこれが、後に現在の状況に至る元凶であったのかもしれません。

 

メダカは卵や稚魚を隔離せずに親魚と一緒にそのままにしておくと、基本的にあまり増えることはありません。

もちろん水面が広く、稚魚が隠れるような場所がたくさんあれば増えていくように思います。

 

アパート時代の水槽ではその狭さから、卵の時点で親魚に食べられていたのでしょうか。

その原因は分かりませんが、ほとんど稚魚が誕生していなかったこともあり。

その時の状態において成り行きに委ねていたため、結果として増えることはありませんでした。

 

元々が積極的に増やしていくという考えはなかったため、九州から一緒に来たこの子たちはこの代で終わるのだろうと私は考えていました。

遠く離れた故郷から一緒に来た、まさに戦友のような子たち。

もちろん寂しい気持ちはあるにせよ、それでいいのだと自分を納得させていました。

 

ところが今では、結果としては爆増をしてしまったわけです。

そこには一体、どのような出来事があったのか。

 

まず一点としては数々に産卵が行われるなかで、旦那がなぜか稚魚を拾ったことです。

おそらくは親魚に食害されることを哀れと考えたのか、あるいは好奇心に基づく行為であったのかなどについては全く分かりません。

そして私も何故か、拾われた稚魚たちを隔離して世話をしたわけです。

 

ただ今にして思えばそのような介入をせず、そのままにしておいたのであれば。

そもそも現在に至るまでの、私たちの様々な苦労はなかったのではないかとも思えるのでありました。

 

「………」

 

とは言えしかし、心が痛むのも確かなのです。

 

小さな糸くずのような身体で、親魚から逃れようと必死に泳ぐ稚魚。

息を潜めながら、水草の陰や水槽の際でじっと動かぬ稚魚。

そのいずれもが、与えられた環境において生きようと必死なのです。

 

水槽の中は結局人の手によって作られた、いわば偏り閉ざされた空間です。

自然環境下ほど隠れる場所もなく、そのうえ栄養源も少ない。

飼い手が至らないほどにその影響を受けるのは、まぎれもなく彼らであるわけです。

 

(旦那注:うえの文脈のうち「飼い手」を日本国政府、「彼ら」を日本国民と置き換えれば実にわが身のこととて分かりやすいです)

 

・・・いずれにせよ結局、全くの見て見ぬふりはできないのです。

なぜならば私自身が作った不十分な環境の中においても愚痴などこぼすこともなく、今をただ必死に生きようとしているのですから。

 

そのような流れにおいて当時隔離をして育てた結果、無事に生育をした稚魚たちは概ね25匹ほどでした。

それ以外に脱落をしたのは一般的に言われるほど多いものではなく、あくまで記憶の中においては片手で足りるほどであったように思います。

 

そののち彼らは順調に育っていき、その結果として隔離ケースのみで育てることが限界を迎えたため外に110リットルの角型ジャンボタライを増設することになりました。

 

この頃はおそらく、まだ気持ちに余裕があったのでしょう。

管理の手間が増えたことよりもかわいいメダカが増えたことの方が嬉しくて、今後のことなど何も考えておりませんでした。

 

アパート時代には、その数を全く増やすことのなかったメダカたち。

ところが水槽が広くなったことと、その後も前述の稚魚のような完全隔離ではないにしても稚魚が逃げ込めるような出入り自由の半隔離のようなシェルターを設置したことなどより、結果としてメダカは毎年増えていくこととなりました。

 

そして彼らが増えるたびに一つ、またひとつと――。

新居に引っ越して3年目の頃には、屋外水槽は遂に3つにまで増えてしまっていました。

その受け皿を作れば作るほどにメダカたちはその数を増していき、結果として私たちの苦労や出費が高まっていくことについてを甘く考えていたのかもしれません。

 

つまり私は既に「ネズミ算式」ならぬ、「メダカ算式」の罠へと陥っていたのです。

 

角型ジャンボタライと水瓶2つの3つに・・・。

(※実はこの後、更により大規模に増えます。)

 

いずれまた続編、その6へと続く予定です。(予定は未定)

第16夜【閑話休題】帯状疱疹について

皆様こんにちは、今日は旦那のターンです(*'ω'*)ノ

 

近頃都に流行るもの、ではありませんが。

最近巷を騒がすものとして、黒船ならぬ帯状疱疹というキーワードを耳にすることも多い今日この頃です。

 

ちなみにこの帯状疱疹というもの、個人的にもかつて経験をした病態のひとつではありました。

あれは今より四半世紀を遡るなかでの出来事であり、家内はもとよりメダカ達とはまったく関係のない時点においての物語ではあります。

 

さて。

当時の私は、齢二十歳前後であったように記憶をしています。

一般的に帯状疱疹というものは、相当に免疫力が低下したときに起こると理解をされているようです。

とは言え当時の私には若者特有の根拠なき自信に溢れていたせいか、なんだか良くは分からないが流行り病或いは外的要因の一種であるくらいにしか考えておりませんでした。

 

もちろん、その理由は今にしても一向に分かりません。

或いは、これが駄目だったのか。

それともあれが遠因だったのかと、様々に推定ができるくらいです。

 

とは言え、相当に若かりし頃なのにも関わらず。

一方では同時にそこまで免疫が落ちたことについて、やはりある程度の明確な原因があったようにも考えられるところです。

あえて誤解を恐れずに言うならば、はっきり言ってヤバい。

ただそれが良くは分からないというのが、実に困ったところでもあると思われます。

 

また発症前夜についてのことも、一応覚えてはいます。

その日は休日であったため、実父の趣味であった登山に付き合うことになっておりました。

しかし今にして思えば、その前日においても何となく太ももの表面が張るような痛みを感じてもいたところでした。

 

以上つらつらと書き進めてはみましたものの、やはり若干分かりにくいところも多いと思われます。

つきましては、ここで一旦整理をしてみたいと思います。

 

時系列で言えば月曜日に発症をしたので、当該部位に痛みを感じたのが土曜日。

そのまま登山を強行したのが日曜日、ということになります。

 

一方ではまた、いわゆる病の前兆とでも言うのでしょうか?

通常ならそこまで疲労はしないはずの登山ではありましたが、それでも過去これまでにないほど酷く疲れたことだけはよく覚えています。

(※そもそも私は5歳の頃から鎖場を含む、所謂「健脚コース」において登山に連れられていたので、経験自体はそれなりに長くはありました)

 

さて、その翌日のことであります。

私の左脚太腿つまり数日前にピリピリとした痛みを感じた場所を中心として、譬え様のない痒みとともに大量の水疱が現れていたのでした。

(※ちなみに、一般的に言われるような痛みはまったくありませんでした)

その有様たるや正視に耐えないと申しますか、いやはやボコボコとして気味が悪いということだけは間違いがありませんでしたね。

さらに軟膏などを塗りたくった日には表面がテカテカと照明を反射する一方で、その表面形状がより強調されるので特におやすみ前の出来事としては怖いことこの上ありません。

 

ついては当時の勤務箇所が病院にほど近い環境であったこともあり、時間休その他を活用しながら医師の診察を受けることとなりました。

さてそこで、決して短くない待ち時間の末に私が医師から告げられた言葉は何であったと思われますでしょうか。

 

別に勿体を付ける必要もないので、そのまま記憶の限りを記して参ります。

 

「これは入院だねぇ。で、いつから入院できる?」

 

その一見して初老に差し掛かろうという医師は、当時の私にはまったく思いも付かない一言をごく普通に仰ってくださりました。

 

(何と!?たかだか水疱ができただけで、態々入院せねばならぬのか!?)

 

精々、塗り薬の類をもらって帰宅と考えていた私のこと。

あまりに大袈裟と思われた医師の対応を受け、とにかく焦った記憶があります。

言うなれば青天の霹靂、まさに予想外の展開と言うべき事態でした。

 

しかしながら私も既に働いている身でありましたので、入院ともなれば多大な迷惑を掛けることにもなり、まずは職場に一報を入れなくてはなりません。

そのうえで家族にも連絡をし、一体どうするべきかを相談しなくてはならない旨を告げたところ。

 

「……では、ご相談ください」

 

といった主旨の返答があったように記憶をしています。

というか自分の一存でそう簡単に入院などできるかと

 

私はその言葉を受けてひとまず診察室を後にすると、さっそく関係各所へと連絡を取り始めました。

当時は携帯電話があったかどうかも定かでないのですが、もっとも病院内において使用が禁止されていたことをあわせて考えれば、おそらくは病院内の公衆電話を使ったのであろうと思われます。

 

とにかく職場と、家族へと連絡を取っていった結果。

「可能であれば、入院をしない方向で話を進めよう」

ということで、一定の結論がまとまりました。

 

ということで一旦その後の方針について整理がついた私は、その旨を報告するために再び診療窓口へと向かったわけです。

そんな私を待っていたのは、ただ看護師伝手に耳にした「医師が怒っている」ということだけでありました。

 

そのあたりをもう少し詳しく、後々になって伝え聞いたところによりますれば概ね以下のとおりであったようです。

 

いきなり入院だと伝えられた私が動揺などもあり、周辺への確認のため了解を得て一度離席したことにつきましては先にも申し述べました。

それはほんの一時的なもの、つまりは中座であって数分経てばすぐに戻るだろう。

前後の文脈からすれば、その医師はそのように考えていたらしいのです。

 

ところが一方では、何時まで経っても(※おそらく十分ほど)戻らない私に対して

 

「あの患者はどうしたんだ(意訳:忙しい俺を待たせるとは以下略)」

 

といったような意味合いにおいて、極めて不愉快に思っていたらしいのであります。

 

そんなことを言われても当時の私は若輩者なりにベストを尽くしたつもりで、また何分以内に戻れといったような指示を受けた記憶もありません。

むしろ忙しいお方が不思議にも私の帰りを徒手空拳にてずっと待っていたのかという方が、私としては当然の疑問であり同時に極めて意味不明なことではありました。

 

確かに私も、当時はかなりの若輩者かつ至らない人間ではありました。

(もっとも、今でもあまり変わり映えはしませんが…)

 

とはいえ目の前の患者がひとたび中座をした以上は、自ら忙しいと公言して憚らない医師の方々のことです。

決して限られた時間を無為に過ごされることはなく、あくまで同時並行的に次の患者様へと応対をされながら、その合間においてこちらにも対応していただけるのではないか。

 

若い私はそれゆえに抱きやすい期待も込めて、そのように考えていたと思われます。

しかしながら、結果としてはそうではなかったようなのです。

 

もし仮にそんな私の思い込み通りであるとしたならば、医師が怒る理由はどこにもないのではないかとも考えていましたが、実際に怒っている以上はそうではなかったと結論するほかありませんでした。

 

結局その後はどうなったのかと言えば、私は二度とその医師に会うことはありませんでした。

今現在としては、恐らくは既に天寿を全うされていることでしょう。

もちろん、それに関して私が論評できることは何一つとしてありませんが…

 

それからは日を改め、予約の後にもう一度同病院を受診することになりました。

何故か私に応対下さる先生は別の方(若い女医様、おそらくは研修医か+αの先生)となっていました。

そのうえ当初において突然告げられた「入院」などという話はそれ以降の文脈からは完全に消え去っており、ただ私の脳裏に奇妙な所感を残したままとなりました。

 

最終的には特に面白くもなんともない結論で大変に申し訳ないのですが、内服薬と軟膏の処方を受けそのまま平癒、ひとまず通院終了となりました。

なおその当時における経過を覚えている限りに記せば、概ね発症から四週間程度にて主だった症状は消えていったように記憶をしています。

また発症から三週間程度を経た診察時においては、件の女医様からこのような助言もいただきました。

 

「嫌かもしれないが(傷跡を綺麗に治すためには)、入浴時などに強く擦り落とした方がよい」

 

しかしながら私は正直なところ恐ろしさばかりが先行し、それを実行することはできませんでした。

その結果として内股の一部には、今もなおうっすらと傷跡が残ってはいます。

今考えると傷跡を綺麗に直すという目的のためには、そのアドバイスは確かに正しいものであったとは考えています。

 

ちなみに何の因果か、私はその後病院勤務を経験することにもなり――

ある程度はその特性や内部事情について、様々に知り得る立場にもなっていったのでした。

そして各種の利益が病床利用率であるとか、所謂病診連携という名のもとに付与される紹介患者加算などによっても齎される事実を知ることにもなったのです。

 

ゆえに、私が最初に診察を受けた医師について今現在として考察をするならば。

 

「ベッドが空いているなら、とにかく入院させろ!!」

 

といったような、例えば病院経営上の方針に基づいた行動をとられた可能性があります。

そのあたりについてはいずれまた、似たような話を申し上げることがあるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

 

さて、例によって話が激しく脱線傾向にあるためこの辺りで軌道修正を図りたいと思います。

これまでは以上のように私個人の単なる経験談に過ぎないことではありますが、一方では免疫力の低下によって引き起こされるものが帯状疱疹であるのもまた事実だと思われます。

 

仮にそうであるならば、帯状疱疹自体が奇妙な増加を見せていることには一定の理由があるようにも思われてなりません。

例えば近々において我々の免疫機構に悪影響を与えたものがあるとすれば、それは何であると思われますでしょうか。

それこそ日本国内において一斉に行われた何かが、その遠因となっている可能性については十分に考えられるところです。

 

そもそも免疫力が低下をすれば、自然界において様々に溢れる所謂「日和見菌」によってその生命が脅かされるということは当然の話でもあります。

そのため一見は日頃目にしない珍病奇病の数々が、突如として脅威となった旨の報道があったとします。

 

それをある角度から見た時、思われることは確かにあります。

 

「病気が強くなっている」というよりは、

「人間が弱くなっている」だけなのではないのでしょうか?

 

つまりは別に未知の病原菌が増えているわけでも謎のウイルスが増加しているわけでもなく、有り体に言えば人間そのものの健康が損なわれているだけではないかと思っているのです。

 

そのような現象がもし日本全国、いや世界全体において同時多発的に発生をしているとしたならばどうでしょうか。

やはり何らかの原因が、明らかにそこにあるのではないかと思われるわけです。

 

以上つらつらと大変に長くはなりましたが、帯状疱疹という一つの切り口を通して私としてはそのように考えている次第でもあるのでございました。

 

 

第15夜「メダカに関するその後~現在までの軌跡-その4-」

 

皆さまこんにちは^^

今日も今日とて、もんこです。

 

※ちなみに今回のエントリは、こちらの続きとなります。

medakatoetc.hatenablog.com

 

これまでのようにして、一見順調に見えた新生活ではありましたが。

流石に東日本大震災とまでにいわれるものを経て、私たちの暮らしにも明らかな影を落とすことになりました。

 

一方でメダカたちは幸いにも何とかその影響を回避し、地震そのものによる直接的な犠牲はありませんでした。

問題が生じたのは、むしろ私たちの生活の方です。

まず物理的に破壊をされたことによってさまざまな被害を被り、それは当然に多々金銭的なダメージを受けていくことになります。

 

もっとも大きかったのは、当時進めていた新築住宅への影響でした。

地震の際には基礎工事を終えたばかりで上物はなく、その点では被害がないように感じられました。

 

ところが一度に多数の家屋に被害が出たことにより、特に屋根瓦や外構などについて応急処置を行う需要が一気に増加したわけです。

一方で需要は急増しても、それを供給する職人様のキャパシティは限られています。

 

そのために住宅の新築工事よりも復旧作業を優先するという確かに当然の考え方のもと、結果として我が家の新築工事に対しては職人様の手配が滞ることになりました。

つまりは直接そして間接的な側面のいずれにおいても、我が家の新築計画については当初のそれと比べて著しい狂いを生じさせることにはなったのです。

 

もとより地盤改良工事における想定外の出費や追加追加での様々な請求にくわえて、工期が長引いたことで借家の賃借料はもちろん、更新料などの負担もあわせるとかなりの金額がそれによって失われたことになります。

 

ただそれはそれとして、命あっての物種です。

現在は兎にも角にも、なんとかやれていることを考えれば――。

 

当人たちが、その時々には気が付かないだけで。

結果としての「気づき」については、それぞれ当然にあったのかもしれません。

 

いずれにしても、その後遅まきながらにではあるにせよ。

私たちの新居は、なんとか完成の日を迎えることができました。

 

(※実際にはクリーニングが済んでいないうえカーテンレール未設置、自然給気口の工事不具合、バルコニーの物干しがない――その他さまざまな問題がそれこそ山のように、しかも当たり前のようにありました)

 

それはさておき。

例えば今回の地震では、たまたまうちのメダカ達は難を逃れることができました。

その一方で、地域によってはたくさんの飼育魚達が命を落としたことでしょう。

 

中には名前をつけて可愛がっていた方々もいらっしゃったと思います。

犬や猫などのある意味分かりやすい愛玩動物(この表現も好きではありません)は様々に報道その他の媒体において取り沙汰をされることはあるかもしれません。

一方ではメダカなどの魚や虫などの小さな生き物達については、あくまで当事者並みである個人が悲しみや苦しみその他全てを引き受けるのみに留まるのが現実ではないかと思います。

 

特に自然災害においては、自然下であろうと飼育下であろうとその難を逃れることは容易ではないのかもしれません。

しかし人の飼育下にある生き物についてはそれぞれ自身が好むと好まざるとにかかわらず、その飼い主である人の命運に半ば強制的に付き合わされることになると思うのです。

 

そのような視点から考えたときには「人が生き物を飼う」ということについて、どのように整理をするべきなのでしょうか。

もちろん良いのか悪いのかなどといった単純な視点では、そもそも整理できようはずもありません。

 

現状に至った、その経緯はともかくとして。

今現在彼らがそこにいることは間違いのないことでもあるからです。

ただ一方では自身の行いや姿勢なども含め、その与える影響などについてをしみじみと思わずにはいられません。

 

このような経緯を辿りながら、地震から約1年のちのことです。

数々の紆余曲折を経て何とか我が家もいちおう完成し、仮の住まいであるアパートからいよいよ本拠地へと舞台を移すことになりました。

あわせてメダカとの生活についても、ここで新たなステージへと移行することになったのあります。

 

新居へ引っ越した際に植えた記念樹クルミ。見渡せばまさに草一本もない不毛の地、ガラと砂利だらけの酷い土ですが、これがどうなったかはまた後々のお楽しみです。

 

いずれその5へと続く予定です。まだ命があれば(笑)

第14夜・今週のお題「お米買えた?」

皆様こんにちは、今日は旦那のターンです(*'ω'*)ノ

 

今回は今週のお題「お米買えた?」に関する内容にて綴っていきたいと思います。

その前に当ブログ、あるいは我が家のそこここに登場する謎の生き物として以下の存在があったりします↓

(※上記に関しては以下のエントリにも記載があります)

 

medakatoetc.hatenablog.com

 

ちなみにこのミー(仮称)の一例として引用したものは、お米に関連したイメージのもとで我が妻が落書きをしたものです。

 

さて。

この令和の米騒動とも揶揄される出来事について、私個人は極めてきな臭いものを感じているところであったりします。

 

まず、これらの物不足について共通することは、「メディアがそうだと報道すれば、結果的にはそのようになる」ということがあります。

例えば米不足だとNHK(※著者注:日本放送協会ではありません。何とも変な会社の頭文字です。くれぐれも誤解なきよう)が報道したとします。

 

すると、その報道に接した人々が

「何!?ならば買えなくなる前に買っておかねば!!」

といった心理状況になることが想定され、そのために普段は1袋しか買わないものを余分に買うことになります。

 

まさに古くはどこかのオイルショックによるトイレットペーパーの買い占め、はたまた東日本大震災直後やいわゆるコロナ騒動における物不足にも共通した状態が現出するのです。

スーパーには血相を変えて大量に買い占めに走る消費者が続出し、それを見て危機感を感じた消費者が相次いで確保に走る。

まさに消費者の不安な心境に付け込む形で疫病の如く伝染するのが、この物不足に共通した特徴と言えるでしょう。

 

またこれに似た現象としては、NHKが例えば「今人気の一冊」として紹介をしたならば果たしてどうかということもあります。

実際には人気がなくとも「そうか、それは人気があるのか」といったような影響を与えて結果的に人気となる可能性も否定はできません。

 

一方で本当に何かが不足しているのかということに関しては、また冷静に分析をする必要があるように思います。

上記のように一時的な心理現象によって店頭から在庫が消え去ることで、あたかも実際に米不足が起こっているように錯覚してしまうだけでは物事の本質は見えてこないと思うのです。

 

例えばですが当方がネットを経由してお世話になっている米農家様では、確かにいつもより多く注文が舞い込んだために在庫がないという話を聞いています。

一方で地域においては、相変わらず山積みになっているところも多く見られます。

ちなみに当方の近傍近在におけるスーパーではごく最近になって在庫がなくなるという現象も起こっていますが、最近まで豊富に積まれていたという状況からはあまりに脈絡がないため、メディア報道による買い占め行動の影響ではないかとも考えています。

 

このように米不足といっても全国的なものではなく、地域によって偏りがあるということなどを考えると、やや首をひねりたくなることがあります。

また直接生産農家の方に対する買い付けが強まっていること、一方で生産農家としても例年通りの価格で納めているにも関わらず小売価格が異常に跳ね上がったことなどでご立腹されている方も少なくないように聞いてもいます。

 

ここで連想したこととして、そういった仲買人的な業者が出荷調整をすることでぼろ儲けができるという構図は、それこそ江戸の昔からあったように思います。

同時に政府には備蓄米があり、また一部地域にて購入に支障を来しているにもかかわらず、需要は減少傾向にあるとして特段の措置を講じることもないように伺ってもいます。

 

であるならば、そのような仲買人的業者が政府と結託して流通量を制限したとします。

同時にメディアを通じて、米不足であると喧伝をすればどうでしょうか。

その結果として全国的に米不足が現出し、悪徳業者は小出しにすればするほど大儲けという構図になることも容易に想定ができます。

 

以上のことなどからは、本当に米不足なのかどうかを判断することは出来ません。

その一方では日本国政府が進めてきた政策によって、例えば田んぼでの稲作から畑に切り替えた農家に助成金その他の名を借りた資金提供をするほか、不要というよりむしろ国内総生産に悪影響を与えるだけのインボイス制度の導入によって廃業を促進したりと、食料自給率が半分にも満たない国のやることとは到底思えないほどの名実伴う悪政は留まるところを知りません。

つまりは減反とは言わないものの、実質的な減反政策を継続し続けているように思われているのです。

 

ということで以上様々に毒を吐きましたが、結論としては我が家ではお米は買えました。

そもそも地域によって偏りがあるので、買えるところでは買えるのです。

 

そういった現実を総合的に捉えることをせず――

例えば「私の住んでいるところでは品薄だ」という文脈だけでもって情報を発信するのはいかがなものかと思います。

もっとも我が家では特定の銘柄をもっとも重要視しているため、そういった意味においては多少ながら好ましくない影響が出ているのは間違いのないところです。

 

いずれにしても、日本人は数千年規模で米を主食としてきました。

色々と考え併せますと、その時々で食べられるものに合わせてまた身体も適応してきたものと思われるのです。

つまりは基本的な生命の方向性として、食べるものに合わせて身体もまたそれに適応する形で最大のポテンシャルを発揮するように進化をしてきたのであるとするならば。

それこそがまさに好き嫌いではなく、生きるものが食べるものとともにあることを運命づけられているとも言えないでしょうか。

 

それをこの数十年だけで西洋化という名のもとに、しかも滅茶苦茶なほどに食文化を破壊されている現実。

つまりは多種多様なものどもが混入した一方で、本当に大事なものを見失ってしまっているのではないかと感じた次第でありました。

 

もっとも、この国を覆う闇や問題はこれだけに留まらないと考えます。

細かくは割愛するといたしましても、そういった意味において私はいつか以下の掛け軸を揮毫したいと思っているのでありました。

 


本当に、酷いもんです。

何も知らなければ、幸せに生きていける。

一方で真面目に調べれば調べるほどその病根は深く、人によってはそれだけで正気を失う可能性すらあるすらと考えています。

 

果たして、神は死んだのでしょうか。

それとも、未だ試練の途上なのでしょうか。

 

時折、かつて観た日本昔話の世界観がうらやましくさえ思えます。

それでも頑張りたいと思います、少なくとも死ぬまでは(笑)

 

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